役人気質の今昔

「雪の花」吉村昭
この小説は、天保年間、福井藩の町医者、笠原良策が生命をかけて天然痘予防のため、種痘を接種を広げるまでの苦難な道を題材にしたものである。

ジェンナーが発見した牛痘を人間に接種すれば、予防できることを知った良策は、手を尽くし藩主春嶽を介して、鎖国下に海外から種痘を手に入れることに幕府からの許可を申し出て、成功する。が、苦難の末に京都から福井に持ち帰った種痘が、接種する子供が見つからず、途絶えそうになる。藩の役人の対応が鈍く、陳情書を書いても音沙汰がなく腰を上げようとしない。

その当時、藩に文句をいうことなど、命をかけてのことになる。切羽詰った良策は、以下のような口上書をを書くことを決意する。
以下、小説からの抜粋

直言一条禁他見

 私が種痘を幕府に許可して欲しいと願い出たのは、藩内の多くの人々が天然痘にかかって死ぬのを哀れに思ったからである。ところが、いよいよ藩内に種痘を広めることが出来るときがきたというのに、役人であるあなた方は、何の意味もない相談ばかりをして積極的な手を打とうとしないのは、いったいどうしたわけなのか。
 現在、天然痘が流行しはじめている。このままにしておけば、来年の春までには多くの子供たちが死亡することは絶対にまちがいない。せっかく痘苗を取り寄せることができながら、役人であるあなた方の怠慢から多くの人の生命が失われるとしたら、あなたたちは幕府に対してどのような申開きをするつもりなのか。この眼前にみられる天然痘の流行を手を拱いて見捨てておくくらいなら、種痘など取り寄せる必要はまったくなかったのだ。
 幕府に対する忠誠心からも、一日も早く藩で種痘をひろめることに努力するのが当然である。
 あなた方の態度はまことに理解に苦しむ。つまらぬことを考えてためらっているようだが、こんなことであるなら種痘について幕府に願い出たことが初めから無駄であったというべきである。
藩としても、人命を救うことのできる種痘を、あなた方の意向でひろめられずにいたら、藩内の人々の恨みがたかまることになる。
 種痘が天然痘の予防法としてきわめてすぐれたものであることは、藩主の松平春嶽様もよくご承知なさっておられることである。それなのに、あなた方役人は、なぜ、種痘をひろめることをさまたげようとしているのか。
 もしも、あなたがたのために、多くの子供たちが天然痘にかかって死亡していくゆくとしたら、その親たちは、藩主の松平春嶽様をどれほど憎むか知れない。
 逆に、もしも種痘をひろめることができるとしたら、庶民は藩主に深く感謝し、藩主の温情に感激するだろう。 曹結うわけだから一日も早く種痘を広めることに努力し、遅くとも来月中旬頃までには種痘所を拡張する工事をはじめてもらいたい。
(中略)
 私もこのような激烈な口上書を藩に提出したくはないのだが、多くの子供が死んでゆくのをみているのが堪え難いからやむを得ないのだ。
 この口上書を提出してもあなた方役人が何の反省もしなかったら、私にも覚悟がある。
 これ以上、藩などにお世話にはならぬ。私は一人で、思うように種痘をおこなうから、その時になってあれこれと干渉することは固くお断りする。

今、人の命に直接影響することではないが、年金を管理する社会保険庁が国民の批判を浴びている。役人の社会において、世の変化に対応が遅れるということでは、今も昔もその体質は変わっていない。
その体質を根本から変えていくシステムを変えるのが、政治の仕事ではないのか。と痛切に感じさせた本になった。

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by binjichan | 2007-07-12 12:32 | 読んだ本の寸評
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