米百俵  山本有三著 新潮文庫

小泉前総理が国会で引用した小林虎三郎が主人公の戯曲です。戊辰戦争で焦土化した長岡藩の窮状を見かねた三根山藩から見舞いとして届けられた米百俵をめぐる話。その配分を心待ちにしている藩士たちに通達された内容は、「米を売り学校を建てる」というもの。いきり立つ藩士たちに時の大参事小林虎三郎は「百俵の米も全員に配分すれば少量であり、食えば一日二日でなくなるが、教育に当てれば継続して食えるようになる基礎が築ける」と説く。「米百俵の精神」を広く知らしめた戯曲である。

舞台は2場で構成。一場は、荒廃した城下に立つ長丘藩士伊東喜平太のこっぱぶきの平屋の家。二場は、小林虎三郎の厄介になっている唐物商の離れ屋敷。時は、明治3年4月の末ころで全国に多くの藩が存在し、散髪令も廃刀令もでていないので武士は刀を差していた。
この戯曲が発表され演じられた時期が第二次大戦中の昭和18年であることに私は興味を注がれた。参州牛久保が長岡にお国替えになった時からずっとご家風としてさだめられていた「常在戦場」の掛け軸が小道具として特別の意味を持ち、虎三郎が藩士への説得材料に使われるからである。平成の今日、この戯曲を読むと、三世帯の時空をそれぞれの時代を空想しながら感じ取らねばならない複雑な気持ちにならざるを得ない。

初版本「米・百俵」(付「はしがき」「米・百俵」「注」「隠れたる先駆者 小林虎三郎」「そえがき」)新潮社刊。昭和18年6月20日発行。B6判、220頁
その「はしがき」昭和18年5月21日付に長岡出身の山本元帥の壮烈な戦死の放送を聴いて英霊に対し奉り限りない敬慕と哀悼の念を記している。
ところが、「人間尊重の考え方は危険思想と見られたのか、軍部から反戦戯曲とされ絶版にさせられ自主回収をよぎなくされたなどと伝えられている。あるいは出版されなかったことにされていたとも推測されろ。」という文庫本の編集後記を読んで、太平洋戦時下の異常な空気が読み取れる。

作者の山本有三氏は「路傍の石」で国民的作家になった。1887年栃木県生まれ。ほかに「女の一生」「真実一路」。子供向きに書かれた「心に太陽を持て」などの名作がある。

余談になるが、この戯曲に佐久間象山のセリフが出てくるが、「佐久間象山」を「ぞうざん」とよぶか「しょうざん」といわせるをかきめるのに難渋した経過がのっている。皆さんはどちらを選択されますか。
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by binjichan | 2007-04-26 14:27 | 今読んでいる本
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