昔の単位

当然のことながら、時代歴史小説には、昔の単位が使用される。
ところが、その単位では、即座に実感できないものが多い。そこで、日本の単位を羅列しておく。

日本の単位

長さ
毛(もう) 1毛=0.0303mm 日本の尺貫法は1958年になくなりましたが、現在でも木工・建築のなかで使われています。
特に伝統産業といわれるものはメートル法を使わず尺貫法を使います、例えば、鏡餅を乗せる三宝の大きさですが、店頭では○号と明記しているものが多いのですが号を寸に直すとそのサイズが解ります、5号なら5寸で約15cmになります。
建築でもメートルは使わず寸や間を使います、日本建築の家では柱2本分の間隔の長さが約1間ですので柱の数を数える家の大きさが分かります。

厘(りん) 1里=0.303mm
分(ぶ) 1分=3.03mm
寸(すん) 1寸=3.03cm
尺(しゃく) 1尺=10寸=30.3cm
丈(じょう) 1丈=10尺=3.03m
間(けん) 1間=6尺=1.818m
町(ちょう) 1町=60間=109.09m
里(り) 1里=36町=3927m
 
容積
弗(ふつ) 10弗=1才 容積はお米などでよく使うのでなじみがありますね、でも一般的には升ぐらいですが、小説では石もよく出てきます。

才(さい) 10才=1勺
勺(しゃく) 10勺=1合
合(ごう) 10合=1升
升(しょう) 1升=1.080391リットル
斗(と) 10升=1斗
石(こく) 10斗=1石
 
面積
歩(ぶ) 1歩=3.3058㎡=1坪 面積はたんぼの大きさを表すのによく使われまが、正式な文章にはha(ヘクタール)を使います
1haは約1町と憶えておけばだいたいの大きさが分かりますね、

畝(せ) 36歩=1畝
反(たん) 10畝=1反
町(ちょう) 10反=1町

時刻・時間
江戸時代の時間の単位は『刻』です。

『子の刻』とか、『九つ時』と呼びます。

『刻』は、不定時法と呼ばれる時刻で、
日の出(正確に言うと、日の出前の薄明かりの始まった時)から、
日没(薄明かりの終わった時)を「昼」、
日没から日の出までを「夜」として、
それぞれを6等分しそれを「1刻」と呼びます。

季節によって、(厳密に言うと日によって)一刻の長さが変わります。
ですので「不定時法」と呼びます。
日没が「酉の刻(暮れ六つ)」で、
日の出が「卯の刻(明け六つ)」です。
1刻は約1.5~2.5時間になります。

午前0時は、不定時法では季節に関係なく「子の刻」です。
子の刻の前の時刻に当たる「亥の刻」は、
午後9時30分~午後10時30分くらいから始まります。
(日没から子の刻までを3等分、
子の刻から日の出まで3等分しして、夜を6等分します。)

同じように「九つ時」は季節に関係なく、午前0時を指します。
「九つ時」以前は、亥の刻「四つ時」、戌の刻「三つ時」、酉の刻「二つ時」
九つ時を過ぎると、丑の刻「八つ時」、寅の刻「七つ時」、卯の時「六つ時」
です。

(※分かりにくいですね。上記でいう午前0時は、
夜と呼ばれる時間の真ん中という意味です。
今の時間に直したほうが分かりやすいかなと思いましたが
逆に難しくしたかもしれません。
要するに1刻は不定ですと言いたかったんですが・・。)

ちなみに、九つの後、時間と共に八つ、七つと減るのは、
九が易の陽数で、その後、九の倍数(18.27.36.45.54)
の十の位を省略して太鼓を打ったことによります。


〇飛鳥時代の時刻は、
日本書紀によると、斉明天皇6年(660)に天智天皇が皇太子の時に
初めて漏刻を作り、時をしらしめたとあります。
これが、日本の最初の時刻制度であると思われます。
また、天智天皇10年(671)には漏刻(水時計)を置き、
これにあわせて鐘や太鼓を鳴らしたと伝えられます。
これが、現在の時の記念日(6月10日)の由来です。
この当時の時刻制度は1日を12分割し、十二支で表していたようです。

〇奈良時代の時刻は、
718年の大宝令によると奈良時代には漏刻を管理し、
時に応じて鐘や太鼓を打った漏刻博士がおり、
制度的には整っていたようです。
しかし、漏刻は太宰府にありましたが、数は多くないと思われます。
この当時も1日を12分割し、十二支で表していたようです。

〇平安時代の時刻は、
平安時代中期、927年に制定された「延喜式」によると、
暦や占い・時刻を司どる役所として陰陽寮を規定していました。
それによると、宮城の門は朝開き、夜閉じていましたが、
その時刻に太鼓を打つのが陰陽寮の役目でした。
その規定では、時刻制度は定時法だtっといわれます。
また、日の入り,日の出の時刻も同時に掲載されていますが、
当時は太陰太陽暦を採用しているために、月日で表すことができず、
二十四節気で表しています。
時刻は1日を12分割し、十二支をあて、それを4分割したものが刻。
刻を10分割したものが分でした。
そして、基準値としては太陽の南中時刻を午の3刻としていたようです。

当時は十二支の時刻を太鼓で、その下の配分である刻を鐘で知らせていました。
子と午の時刻は太鼓を9つ、丑と未は8つ、寅と申は7つ、
卯と酉は6つ、辰と戌は5つ、巳と亥は4つ太鼓を打ち、
その下の刻を鐘でうったとされます。
この時刻の太鼓の数が江戸時代の時刻の呼び名の基となったとされます。

〇室町時代の時刻は、
恐らく宮中においては、延喜式に従ったものであると思われています。
一方、寺院では不定時法で時の鐘をうっていたと思われます。
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by binjichan | 2009-10-08 10:00 | 小説の周辺
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