1冊の文庫本にこんなに日数を掛けて読んだのは、これがはじめてである。ほぼ一ヶ月を要したことになる。
なぜかというと、読んだ場所が浴槽で湯につかりながら読むのみで、常にビニールをして浴室の着替え室の棚においていたからである。特にそうしなければならない訳があったのではない。電車の中で本を読む外出が無かったからというほかない。半日くらいの車での外出が度重なったからである。自室兼書斎にいるときは、実家の父の遺品である書類整理に追われ小説を読んでいる時間がなかったのもその流の一つである。 不埒な浴室での読書のことはさておき、作者の文章表現の旨さには、いつも驚きであり、自然や草花の表現は、絵画的であり美しいと常々から感服していたところ、この作品では、絵画に情熱を傾ける女性をとりあげているのであるから、作者自身相当絵心があるのではと、その感時を深めたしだいである。 小説の舞台は、幕末、どこの藩だか明らかではないが小藩の大番頭の娘・明世が南画の自由な世界に魅せられ画家になりたいのだが、世間のしきたりは、女子が絵を描くことすら許さない時代である。 結婚して夫と姑に仕えることを強いられ20年が過ぎる。夫亡き後、子供は元服を終え家督をつぎお城奉公にでる。時代は、幕府の二度にわたる長州制圧の戦いの最中であり、藩内も保守と革新の二派に分裂、明世の実家と跡継ぎの息子とは派がことなり、実家からも圧力がかかる。 そんな中、自からの情熱にしたがいえの未知を追う決心をする。封建の世に自立の道を歩もうとする女性の葛藤と情熱を見事に描いた感動の小説である。直木賞受賞後の一冊目の作品。女性の心理描写に優れた数少ない男性の作品ではないだろうか。 #
by binjichan
| 2010-03-14 17:34
| 読んだ本の寸評
「橘花の仇」「正次、奔る」御金座破り」「暴れ彦四郎」「古町殺し」引札屋おもん」に続く当シリーズ第7弾。
初めてこのシリーズを読むにもかかわらず、第7弾からが最初である。別に順番に読まなくても、捕物の場合、事件ごとに明確に区切られて、何件かの事件を短編集のように何編かをまとめて世に出されるので、どこから読んでもそれほどの不都合はないとの考えからである。 第一話「引き込みおよう」から始まり第五話「若親分初手柄」まで想像したとおり何の違和感も無く、筋書きを追うkとが出来、楽しめた。 松坂屋の隠居・松六夫妻たちが、湯治で上州伊香保へ旅することになる。一行の見送りに戸田川の渡しへ向かった金座裏の宗五郎と正次・亮吉たちが、暴漢たちに追われた女が刺し殺されるという事件に遭遇する。 一方、残酷な押し込み先の人々を皆殺しにする強盗が現れこの事件と殺された女とのかかわりから、事件改名の糸口がほぐれてくる。 金座裏の十代目を正次に継がせようという動き野中で、下駄貫に凶刀が襲い、宗五郎の怒りが炸裂する。 どのシリーズもこの作者の書き下ろし小説は、楽しめる。 その面白さについて、なぜなのか前にも触れたことがある。しかし侠気がついたほかの理由が見つかった。 読者に共通した理由にはならないが、私に限っていえば、物語の展開場所が、長く滞在したとか、住んだことがあるとか、住んでいるとか身近に感じる場所であり、郷愁をそそる懐かしい場所であり、そこを昔に戻り観光させてくれているおもむきが各シリーズに散らばっているから、面白さを広げてくれているように思う。 #
by binjichan
| 2010-03-14 13:11
| 読んだ本の寸評
天明年間に水の湧かない火山島に漂着。12年間を生き抜き八丈島に帰還し、奉行所に陳述した記録を元にかかれた長編ドキュメンタリー小説。昨年暮れに暮に読み終えているのだが、暮れから二月に掛けて、中学時代の同窓会の準備や孫と遊ぶ正月行事、そして年老いた母の介護問題やらで、このブログに書き入れるのが今となってしまった。
しけにあい黒潮に乗って漂着した島は、絶海の孤島であり水がない火山島でもあった。生活手段を持たない無人島で、仲間の男たちは次々に倒れていったが、土佐の船乗り長平は、ただ一人生き残って、12年の苦闘の末に生還する。その生存の秘密は、渡り鳥とあきらめぬ意志の持ち方であり、壮絶な生き様には、感動を呼ぶ。 一貫して人間と自然との闘いの物語で人間同士の葛藤は、小さなものに思える。上陸した島にはあほうどりの群れが居た。孤島に閉じ込められた長平らの周りには、春に去って秋に戻ってくる大きな鳥のうごめきが感じられ、物語の大きな脇役でもある。人間の食糧として役立つばかりでなく、鳴き声や排泄物の異臭さえが、近くに生き物が居るやすらぎを生存者に与えている。その飛ぶ姿が脱出する希望さえあたえ、孤独に押しつぶされそうになる心をっさえている。 優れた描写の裏には、作者の克明な取材があり、和戦の構造、太平洋の気象、島々の風土、アホウドリの生態まで周到に用意された知識の裏づけがあってこその物語である。 そして、鮮明に教訓としてつづられている事項は、運動不足と栄養の偏りが人の命を簡単に奪うということである。海辺の海藻や貝類の接種がいかに人間の生命を維持するか、克明に描かれている。 #
by binjichan
| 2010-03-14 09:17
| 読んだ本の寸評
御遣拝借
又読みかけ中のシリーズを増やすことになってしまった。この作者の小説は、読みやすく面白いので、つい別のシリーズをつまみ食いしたくなるのである。 テレビでも旅番組に人気があるようであるが、小説だってその要素があるとさらに面白くなる。1作目の舞台は、江戸から箱根の関所までのようである。赤目小藤次というとてつもなく個性的な侍が主人公である。大酒会で1斗5升あおって、藩主の参勤下番の見送りが出来ず、奉公を解かれる。 そこには、江戸常駐で他藩主たちから辱めを受けたことを殿から聞かされ、脱藩して意趣返しをする目論見があった。4藩の大名行列を次から次へと襲撃し、印の鑓首を拝借する孤独な戦いが繰りひろげられる。 意地に候 寄残花恋 一首千両と4巻までを11月8にちまでに読み終える。1日1冊のペースである。第二弾意地に候では、甲州道方面が舞台となる。五日市街道に沿った小金井橋で13人を相手にする死闘を演じる。ここもまた、地理的に現在の住居の近くであり、近親感を持って小説を読み進める。 なぜ甲州に小藤次が足を向けたか理由がはっきりところもあるが、柳澤峠付近でおしんという女性に助けられ行動を共にするところから、甲府勤番支配の陰謀をさぐり、その撲滅に一役買うことになる。そのことから幕府の上層部との繋がりも生じ、話のスケールは、拡大しつつ、第3巻に突入する。「酔いどれ・・・」などと題名が着いているので主人公は避けにだらしないイメージかと思いきやさにあらず、桁外れの酒豪ではあるが、痛飲後もしゃりっとしている、酒を好む剣豪であった。「研ぎや」の商いも順調に拡大し、水戸藩との新しい物産つくりにも貢献し始める。今、11月9日「孫六兼元」第五巻読破中。 芝神明の大宮司が絡む殺人事件を始末した礼として名刀「孫六兼元」を贈られた。長屋住まいの小藤次には、分不相応と承知はしていたが、その美しさに一目ぼれして自らと義を欠ける決意をした。その研ぎの大半は高尾山の薬王院の琵琶滝の研ぎ場で行われた。最後の研ぎを残す段階で「孫六兼元」が姿を消した。 小藤次を討って手柄を立てさる大名に召抱えられようとたくらんだ刺客、佃埜一円入道定道のしわざであった。この巻では、刀の研ぎ方と砥石のことをかなり克明に読むことが出来る。11月11日第6巻「騒乱前夜」を読み始める。 自ら考案した行灯つくりを指南するため水戸行きを目前に、ならず者に絡まれていた久慈屋の女中お花を助ける。だが、お花の語る騒動の理由は要領をえず、思いもよらぬ企てが潜むことが発覚する。風雲急を告げる水戸行きの帯同者には、なぜか、間宮林蔵の姿もあった。 子育て侍7巻 水戸藩の騒動を治めた矢先、子ずれの刺客・須藤平八郎を討ち果す。以来その子・駿太郎を養育しはじめるが、身辺には不穏な侍の影が付きまとう。 四家追腹組の新たな刺客なのか?実は駿太郎の出生の秘密に絡む新たな敵であった。 竜笛嫋嫋8巻 11月16日読 赤目小藤次が思いを寄せるおりょうに縁談話が舞い込んだ。だが、この話に違和感を抱いたおりょうは、小藤次に縁談相手の高家肝煎・畠山頼近の調査を依頼する。そんなある日、おりようが手紙を残して失踪。老中隠密・おしん等を探索に巻き込み、畠山が偽者だということがわかる。この縁談に隠されたとてつもない思惑と戦う。 偽小藤次手元にあるこのシリーズ最後の巻となってしまった。21年2月が初版本となっている。12巻目が刊行されているかどうかしらないが、読み進めることにした。 町年寄の突然の自害、米会所の急な御取り潰しが背景になる。久慈屋の掛取りに従った小藤次が大番頭観右衛門から聞かされた騒動は、それだけでは収まらない気配をみせていた。折りしも市中に小藤次の名を名乗り法外な研ぎ仕事をする偽者が出現、その訴状を探るため東奔西走する。その偽者が、辻強盗をやり小藤次の評判を失墜させようと図るのだが・・・・・・11月21日土曜に読了 #
by binjichan
| 2009-11-04 21:00
| 今読んでいる本
仮宅 沽券 異館12巻以降まだ続きそうであるので、読んでいる本の範疇に入れておく
仮宅 天明7年11月の吉原の大火で、遊郭の建物ははことごとく炎上、500日間の遊郭外仮の家屋での営業が許された。この仮の建物を仮宅という。その仮宅での商いを余儀なくされた師走に、遊女・花蕾が行方をたった。その後も他の妓楼からも遊女が姿を消しているとき、花蕾の死体が築地川に浮かぶ。この必死の探索と犯人との戦いがあらすじといえる。 そのように書いてしまえば、味も素っ気もないのであるが、作者の技量に引き込まれて、途中でやめられず、つい先を急いで読みふけってしまうのである。 この麻薬性は、どこに起因するのであろうか? 自分なりに思うところをあげて見ると、一つには、理屈ぽくなくて、会話部分で、小説が進行しており、活字で映像を見ているに近い状況になっているからではないだろうか。さらに、その会話の部分も、臨場感のあるしゃれたやり取りで綴られ登場人物の人柄を適切に表現されているから、くすっと笑いたくなるところ、目頭が湿っぽくなるところなど、憎らしいほど旨いのである。名人の落語表現に似ているとどなたかが言っておられたが、そのとおりだと思う。 第二に、このシリーズに限らず、主人公の行動力、その範囲が分かりやすいのである。小生の自宅近くに江戸たてもの園があり、その入り口の建物に図書室がある。そこにあらゆる時代の地図が見れるので、時代小説の我が読書室みたいになっているのであるが、現代地図と江戸切絵図とをかさねて、映像を想像しながら読む楽しさがある。それだけ動く筋道に具体性があるのである。 第三に、史実に忠実であるうえに虚構をかぶせて、スケールの大きな読物にしながら、現代の社会の現実とダブらせて江戸時代を描いているからであろう。(09・10・27読) シリーズ10弾「沽券」へ 沽券にかかわる、その語義とのかかわりは?あるのだろうか。(09/10/28読) 沽券とは、現代でいう土地の権利書のようなもの。 天明8年正月早々、吉原の引き手茶屋でこの沽券状を買い占める動きが頻発しだした。権利を売り渡して姿を消した茶屋の主人夫婦が、刺殺体で、川に浮かんだ。残る娘二人の行方を追う幹次郎は、巨漢の武芸者を 引きつれ沽券状を買い占める黒幕の年寄りにたどり着く。吉原のっとりを企てる陰謀の裏に、返り咲きを狙う田沼派残党の影が漂う。これを追い詰める一方、茶屋の夫婦が隠居しようとしていた相模の岩村まで出かけ、偶然にも上方に逃げた敵の2艘の船と遭遇する。 作者の出身は北九州だが、この「沽券」の後半、船に関する描写をよんでいると、今は無き福岡の時代小説作家「白石一郎氏」を思い出した。 異館 ついにこのシリーズ最後の巻を(09・10・30に読了) まだ吉原の再興はならず仮宅中である。物語は、前作沽券の事件決着後、相模から江戸に戻った神守幹次郎が、夢幻一流を使う海坂玄斎なる剣客に狙われるところから始まる。西陣から桐生に拠点を構え直した古一喜三次という商人が斬新な絹物「山城金紗縮緬」を吉原の薄墨太夫に使ってもらい江戸への大流行を画策していた。京都の大火と絡み、会所ではこの申し出は歓迎すべきものであったが、太夫はこれを断る。 その経過から胡散臭いものを会所は感じ取り調べ始める。 一方では、吉原の武家客を狙った辻斬りが横行し、犯人は、異型の剣を使う女剣士が犯人で、これらの事件が一つに収斂したとき江戸の地に驚愕の「異館」が出現する。 いつものことながら、この巻でも痛快なヒーローの剣裁き、夫婦の情愛、入り組んだ陰謀、人の情けが繰りひろげられ、惜しみなくエピソードがちらべられる。次巻の発刊が待ち遠しい限りである。 このたび薄墨太夫の贔屓でぶげんしゃの魚河岸の隠居と義兄弟の杯を交わしているので、次回この人物がエピソードの中心になって登場するのではないだろうか。と勝手な想像をめぐらしている。 #
by binjichan
| 2009-10-27 17:33
| 今読んでいる本
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